遊び、運動、習いごと、そして学習も
皆同じ 生き生きと
ー道場心得ー
遊び、運動、習いごと、そして学習も
皆同じ 生き生きと
ー道場心得ー
科目・ 授業時間 |
算数国語 各130分/週 |
特訓 3時間/日 |
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授業日数 | 2回/週 | 1回/月 |
毎日道場平日朝6:30~7:30 平日夕 16:40~20:00(任意参加)
道場生のこれまでの成長をみてわかったことは、基本の徹底が大切であるということです。すぐにはできない、時間がかかる。逃げず、ごまかさず、わかる振りをしない。苦しむかもしれないが、わかる喜び、できる自信が次の学習意欲を生みます。そのために、正しい姿勢、計算、漢字、音読といった基本学習、そこにある集中の仕方、暗記の仕方、授業の聞き方といった基本的学習法を一貫して指導しています。
誰かにやらされている学習ではなく、自分のための学習として子ども自身が捉えられるように導きます。
子どもたちが自らの頭を働かせる学習。あと伸びするための力を鍛えあげ、一つひとつできる喜びを実感しながら、一歩一歩着実に積み上げていきます。
学習を自分のためとして引き受ける、正面から学習と向き合う。当事者意識をつくっていくことで子どもたちは伸びます。生きていくために、私たちは生涯学びます。生きていくため、明日をよりよくするために学びます。生涯にわたる学びの基礎をつくっていく、鍛錬の場が西郡学習道場です。
持って生まれた能力を比べても、嘆いても仕方がありません。私たちは、個々の能力を一つひとつ伸ばしていくしかない。昨日の自分よりよくなることに尽きます。学習道場では、知能・能力・学力の高い低いは問いません。自分の課題に向き合い、それぞれの成長を促す。逃げずに正面から向き合う子どもたちがいて、その子どもたちを正面から受け止める私たちがいます。
伸びているのかどうか、見えないと不安になります。焦りますが、成長には時間も必要。子どもたちは確実に成長しています。伸びない子どもはいません。自分の課題に正面から向き合い、克服する。できることならやりたくない、逃げ出したい。わからない、できないから、ふて腐れたり、ぐずったりして、言い逃れや言い訳が始まり、甘えます。そこを逃がさないのが学習道場。許されない厳しさも必要です。
わからない、できないから叱るのではありません。逃げ出したい、投げ出したい心を叱責します。子どもはほめられると伸びる、やる気も出る。達成感、自己肯定感もうまれます。だからほめて伸ばします。道場でも花まるメソッド同様の、ほめて伸ばす・認めて伸ばす指導は基本的に同じです。
ほめるも叱るも同じこと。すべてその子のため。学習へのモチベーションを高めるためです。
わかること、できることを積み上げていく学習が基本です。ごまかさないこと、できたふりをしないこと。できない、わからない、難しい、覚えられない、課題も多い…だから無意識に自分自身をごまかし、自分はできたという錯覚・思い込みが始まりますが、ごまかしやできたふりは学習の“敵”、伸びない原因です。できない、わからない、に対峙するしかありません。
学習は自分と対峙する孤独な一面があります。ほめられようが、叱られようが関係ない。自分の学習は、自分でどうにかするしかない。
本来の学習というものは、誰も助けてくれないのです。直面する、逃げない、自分が何とかするという意識から、本来の学習は始まります。学習は孤独であることがわかったとき、共有もでき、尊敬もでき、労わりもでき、喜びもあります。
物覚えが悪い。よく忘れる。何でこんなに覚えないのだろうか、いい頭に生まれてくればよかった、と幾度も嘆き、泣きたくもなります。しかし、持って生まれたものを嘆いても、比べても仕方がないと悟ってきます。自分の能力、性格、できる・できない、わかる・わからないの軸を、成功と失敗の経験を積みながら定め、「自分の学習」を作り上げていくことが学ぶということです。他者に依存していても、自分の学習は進みません。
自分の頭を使うしか方法はありません。順風満帆な発達はありません。逆境にこそ学習の始まりがあります。わからない、できない、だから学習なのです。
わかりきることの大切さ、基本の徹底。咀嚼ができた・わかった達成感が自己肯定感をうみ、次の学習意欲がうまれます。生きていくために、私たちは一生学び続けます。
学習の始まりの段階で、小学生の段階で、正しい学習観を身につけてほしい。一生の礎となる学習を身につけるところが西郡学習道場です。